OKI'S DIARY 2011
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#309  2011年6月15日(水) 泥だらけのTシャツ。そして、いざ新宿LOFT!


OKIさん!今日はとてつもなく嬉しいことがありましたので報告します!俺の流された実家付近の瓦礫の中から、彼女がTシャツを見つけてくれました!ビックリと嬉しさで、胸がいっぱいになりました。ライブには、このTシャツで行きます!」
5月の終わりに岩手の大槌町から届いたメール。送り主は、津波から船を守った漁師のあいつだ。添えられた写真に写っていたのは、泥だらけになった1枚のTシャツ。2005年秋のツアーのやつだ。実家付近では何一つ見つからないと言っていた、あの惨憺たる瓦礫の中に3ヶ月近くも埋もれて、こんな泥だらけになって、それでもどっこい生きていた1枚のTシャツ。あいつらの笑顔が重なる。まるであいつら自身のタフさそのものを表すかのように、泥にまみれても強く拳を握りしめていた。

震災から3ヶ月。最近も途切れることなく様々な知らせが届く。皆それぞれの今を生きている報告。
母のDNA鑑定が難航を極め、つい先日ようやく町の遺体から引き渡しを受けたヤツ。それらを巡る流れの中で、警察や行政の対応の理不尽さを肌で感じていた彼は「日々の仕事で正面からぶつかって、まだ900近くある行方不明の遺体を少しでも早く遺族に届けてやりたいと思っています」と言う。

家族のためにここ何年のうちに絶対にまた家を建ててやると誓い、一心不乱に仕事に驀進するヤツ。
「最近は暑さに蚊とか蠅も増えてきて大変っす」という、各地の仮設住宅の建設を頑張っているヤツ。
床下の配管工事で蜘蛛の巣にまみれながら奮闘しているヤツ。海の瓦礫撤去の仕事が始まったヤツ。
仮設住宅の抽選に当たったというヤツは「先は見えないけどまずは仕事を頑張るだけっす」と言った。
絶対に心折れない男達の生き様は熱く重く胸に響く。拙筆ながら少しでも伝わってくれればと願う。

先月のヒロユキもそうだが、交流のある全国のビートニクス達からの力強い声が沢山寄せられる。東北内陸部の町で郵便局員をしながら沿岸の各被災地の仕事の応援に行っているという人もいるし、遠く九州佐世保で海上自衛官を勤めながら東北復興に思いを馳せる人もいる。様々に思いは繋がる。様々な人達の声を聞き、様々な人達の思いを背負って、遠征に出る。そして音と歌と言葉で伝える。伝わった人達からまた新たなメッセージが届き、それにまた応える。そしてその人達がまた思いを行動に移す。その循環は、一つ一つはとてもささやかなものだが、とても意味のある事だと信じる。

時の経過や距離の遠さによって世間の震災への関心が当初に比べ薄まってゆくのは、勿論ある程度仕方のないことではあるだろう。だが少なくとも、今月に入って遠征した浜松と京都のライブでも西のビートニクス達の熱さや思いは全くパワーダウンせず、繋がり、分かち合えていると実感した。足を運んでくれたみんな、声をからし、熱い拳を突き上げてくれたみんなに心から感謝してます。そしてチャリティステッカー、チャリティTシャツ、会場での募金と、どの形でも協力してくれたみんなに心から感謝です。もちろん口座へ募金してくれるみんなにも。地道に長く続けたいです。

京都MUSEでのライブ後は店長の行貞君にお願いして店呑みにさせてもらい、軽くSEIZIの誕生日宴。4月の牟田、5月の山根、6月のSEIZIとメンバーの誕生日を祝う。みんな元気で健康な事に感謝。
そして東京に戻った翌々日8日に急きょ近所に住む地元呑み会の仲間達を呼び出し、夜から深夜にかけて再びSEIZIの誕生日の宴。めでたい酒席は何度あってもいいのだ。そしたらその宴の最中に、思いもよらず大槌ビートニクス達からのバースデー祝いメールが一斉に送られてきてびっくり。聞けば今夜は現地でも仲間の誕生日飲み会をやっているという。なるほど、それでか。粋なことを!かくして宴は東京と岩手の2元中継かのようになり、急きょ生電話や生メールの廻し合いとなった。そのとき送られてきた写メには、冒頭で紹介したあの泥だらけだったTシャツが綺麗に洗濯されて、ピカピカの輝きと満面の笑顔に包まれて誇らしげに写っていた。まったく粋すぎて、笑えて泣けた。

そして、その翌日から一昨日までの5日間、再び東北に行ってきた。岩手までは今回は行けなかったが、宮城・福島両県のビートニクスや友人・知人らの陣中見舞いに。

福島県鏡石町で臨月の時に震災に遭い、直後の3月15日に子供を出産した一家に見舞いと祝い。2世帯住宅の自宅は半壊、産院はライフラインが完全にアウト、道路も寸断されている状況の中、幸いにも隣町の病院で無事出産できたのだが、現在までの子育てを考えてもその苦労は並ではない。更に、この一家は3人姉弟で、2月に出産したばかりの子もいる。全員が無事で本当によかった。大震災の直前と直後に生まれたこの赤ちゃん達がこれから生きていく福島。明るい未来を願う。

先月行った場所を再び見ることになり、郡山から仙台を経由して石巻に行き、また仙台に戻って、友達が住む若林区や、宮城野区の仙台港近辺に行った。今だ手つかずの様な先月と変わらぬ状況。友達が言うには若林区から南の名取市方面へ通勤に使う道は復旧が進み、少し渋滞は緩和されたが、自身はまだチャリで片道40分の道程を通勤しているとのことだった。仕事があるだけマシだ、とも。

震災からちょうど3ヶ月の6月11日。この日は福島で過ごすと決めていた。夜に再び郡山まで南下。8月6日と9月23日の郡山ライブで世話になるDIABOLIC小林兄弟や地元のバンド連中と過ごした。この日がたまたま土曜日だったからなのか、3ヶ月の節目の日だったからなのかはわからないが、先月来た時よりも明らかに街が活気に溢れていて正直驚いた。放射能の数値は相変わらず高いのに。

去年も一緒にやり、今度の郡山ライブでも一緒にやるSCRAPというバンドのボーカルのノブは、福島第一原発からわずか7kmの近さの浪江町に家と会社があり、3月以降ずっと強制避難生活だ。親は四国の親戚の所に身を寄せているそうで、ノブは現在郡山の借り上げアパートで暮らしている。浪江町の家には4月頭頃に一度だけこっそりと貴重品を取りに戻ったっきり、以降は帰れていない。そして浪江町に帰れる見通しは、言うまでもなく全く立っていない。全国の誰もが知る大変な状況。そして、あまりにも理不尽なこの状況の中にあっても、ノブは努めて明るく振る舞っている。アホなことばかり言って周囲を笑わせている。が、心中を察すれば、そのハートの強さは半端ない。別れ際にノブがボソッと言った。「なんか…今日会えてよかったっすよ」 夏の再会を約束して別れた。

東京に戻り、この原稿を書きながらあらためて思う。まだまだ絶対に風化なんてさせてはいけない。震災自体は天災だが、その後の東電幹部や政府の無責任さが招いた現在の状況は明らかな人災だ。現地の人達にとっては全てが現在進行形の、今の問題であり、この先何年にも渡る闘いが続く。頼りは、一人一人が心を折らず、心が元気であること、それ以外にない。心が元気なら道は開ける。誰もが自分の人生で手一杯だが、それでも自分にできる範囲で、今後も行動していきたいと思う。

さぁ!いよいよ今週末は新宿LOFTだ!ロックンロールには人の心を元気にする力が溢れている。それを信じ抜いている俺達とビート二クス達。共に集まり、めいっぱいの熱い拳を突き上げよう!夏以降も、7月3日仙台を皮切りに吟遊詩人弾き語り、熊谷・千葉のリベンジライブ、イベントに、ビーツマニア、そして FOR THE 東北BEATNIKS!と、鳴り止むことなくビーツの旅は続いてゆく。まずは今年前半の中締め、6.18新宿LOFTで会いましょう!全身全霊、めいっぱいの魂を込めて!
We hear CALL S.O.S from East Japan」「To save them,let’s send the mind」「POWER TO YOU! POWER TO JAPAN!」


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