OKI'S DIARY 2011
このペ−ジはOKI自らが綴るコ−ナ−です。内容は随時更新されます。OKIが発信する生のメッセ−ジを感じて下さい。
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#308 2011年5月26日(木) 瓦礫の町で会った男達。そして心を繋ぎ、分かち合う。
町全体が巨大な廃墟と化した瓦礫の町。喉にからむ苦い風が海水を巻き上げて容赦なく頬を叩く。潮と磯とあらゆるものを呑み込んだヘドロが入り混じった強烈な臭いが今も町全体を覆い尽くす。ここは岩手県大槌町。大津波によって何もかもを奪われ破壊し尽された巨大な荒野が広がる町だ。
名古屋・大阪遠征から帰京し、福岡・広島遠征までの間、5月12日〜16日まで東北に行ってきた。郡山・仙台・石巻の友人を見舞い、津波で実家を流されたローディーのミツルを南三陸町のご両親や親戚が身を寄せる避難所まで送り届け、お見舞いをし、一旦仙台まで戻り、市内で車関係の会社を経営するヒロユキという熱い男に車を借り(彼には本当に世話になり、感謝です)、遠野の番長の家で一泊お世話になった後、遠野から釜石を経て大槌町に入った。石巻や南三陸町、釜石の被害の大きさも想像を遥かに超えていたが、大槌町で目の当たりにしたそれはまるで、子供の頃から写真や映像でよく観てきた原爆直後の広島のような、一面の瓦礫と焼け残った僅かな建物の残骸だけがどこまでも延々と広がる凄まじい光景だった。
この町に、この言葉を失う程の惨状の中を生き残り、けして負けず、心を折らず、強く拳を握って生き抜いているタフな男達がいた。彼らから届いた、魂の叫びとも言えるその強い思いに導かれて、彼らと俺は遂に邂逅の時を迎えた。一人一人と握手を交わし、抱擁する。彼らの顔が眩しく輝く。
連中は笑顔だった。それもとびっきりの。大切な家や職や思い出、そして何よりも大切な家族の命、そういった全ての大切なものが詰まった故郷を破壊された悲しみや悔しさを乗り越える為の笑顔。ここ2ヶ月間、彼らをはじめ東北のファンの人達とやり取りを重ねてきた。彼ら一人一人の境遇や今ある状況、思い、失ったもの、奪われた命、そういった話に一つ一つ励ましの言葉を返してきた。勿論そんなことでは屁にもならないほどの強烈で過酷な津波の体験と辛い思いを彼らは抱えている。だが目の前にあるのは笑顔だ。少し緊張の入り混じった、でも時にはにかみながらも、弾ける笑顔。そして明るさ。辛い事情や悲しみを抱えて、でもそれを乗り越えようと懸命に立ち向かう明るさだ。泣けた。トイレや人の居ない所で何度も泣いた。彼らの溢れる思い、その愛しさに何度も泣いた。
彼ら一人一人の話を聞いた。津波に遭った時の状況やその後。今の境遇や置かれた状況のこと。それぞれの自宅の元あった場所に次々に案内された。もちろん家は跡形もない。床や基礎だけだ。家族を養う為、収入を得る為、彼らは日々仕事に奔走している。だいたいが釜石などの近隣の町に身を寄せ、仕事の拠点にしている者が多い。家族や子供達の為に、もっと内陸に移った者もいる。港湾関係や漁師、製造業、大工さん、電気や配管の仕事で仮設住宅建設に関わっている者もいる。
「俺はチャリで逃げてて、振り返ったら津波が電信柱をバンバンバンバン倒しながら凄い煙を上げてこっちに来てるんすよ。逃げる途中で会って話した近所のおばちゃんはその後、遺体で見つかった。今OKIさんが立ってるのが俺んちの玄関だったとこっす。な〜んもねーけど、上がってって下さい。ここがリビング、ここが風呂、ここが俺の部屋。ここでビーツとかガンガン聞いてたんすよねー」
仲間達もみんなビーツのCDやグッズ類を流されたという話を聞いて、4月の頭頃に配送が釜石市の一部まで復活した頃に、CDやTシャツ・タオル類なんかを可能なだけ段ボールに詰め込んで送った。生活再建の役には立たないが、再建の基礎になるのは彼らの「心」そのものだ。意味があると信じた。
「俺は漁師だから、とにかく船を沖に出さなきゃと思って。地震の直後に船を沖に出したんすよ。したらでかい余震で海がバシャバシャバシャーて揺れて、船ごとゆっさゆっさなって。見たら海が陸に向かってブワ〜ッてグングングングン高く盛り上がってってそのまま町を呑み込んだんですよ。凄い光景だった。あ〜もうみんな駄目だーって思った。その晩は陸に帰れなくて。すげー吹雪いて。すげー怖かった。皆に会えたのは数日後です。みんな俺が駄目だったと思ってたみたいっす(笑)」
そう笑って見せてくれた船は、想像していたよりも遥かに遥かに小さな船だった。本気で驚いた。この小さな船で大地震直後の荒海に出た男。よくぞ無事で。名前の通り、生きて命の船を守った男。
「ここ、俺んちがあった場所なんすけど、すぐそこに例の有名になった(津波で流されて民宿の建物の上に乗っかっていて、かなりの勢いで報道されていた)観光遊覧船はまゆりがあるじゃないですか。ゴールデンウイークは見物客がわんさか来て、バカ親子とかピースして記念写真撮ってましたもん。すげームカつきましたよ。うちの物は全部流されて何一つ見つからなかったんすけど、随分遠くで自衛隊の人が親父の位牌を見つけてくれて届けてくれたんすよ。正直、自衛隊はホント凄いですよ」
この見渡す限り一面の瓦礫の中で唯一見つかった親父さんの位牌…。心がこくりと音を立てる。自衛隊への感謝はみんなが言っていた。厳しい環境の中、自衛隊の働きぶりには本当に頭が下がる。この彼も漁師で、以前くれたメールに、いつか広島でビーツのライブ見てブルーベルベッツで服を買うのが夢、と書いていた。この日は一人だけ洒落たロックンロールなシャツとジョージコックスのラバソでキメていたので仲間達からイジラレていた。純朴で素直で真っ直ぐな、愛すべき男だ。いつか彼が本当に広島ライブに来れる日がきたら必ずブルーベルベッツに案内してやると約束した。
そんな彼の後輩漁師すんぺーは、家族3人で車ごと津波に呑まれ、二十歳の嫁さんと生後間もない赤ん坊が今もまだ見つかっていない。胸がえぐられるような痛みだ。ぐっと強く包み、抱きしめた。まだあどけなささえ残るその顔は、だけど必死に悲しみと闘って、前を向こうと踏ん張っていた。みんなより一回りほど若い彼を、仲間達がまるで兄貴か親父のように大きく包んでいるのがわかる。一人きりだったら到底崩れ落ちてしまいそうな辛さだろう。大切な仲間がいるから何とか頑張れる。後日くれたメールに彼の力強い言葉が綴られていた。「俺も拳を握って強く生きていきます!」と。
じぃちゃん、ばぁちゃん、義理の兄ちゃんを亡くし、家も流された女の子はきっぱりと言い切った。「気持ちはもう被災者じゃないし、強い子なので頑張ります!」と。凛とした言葉に胸を打たれる。何度も血の涙を流したみんなが、強い気概を持って、必死に前を向いて生きていこうとしている。起きてしまった忌まわしい災難を正面から受け止め、ともすれば襲ってくる悲しみや深い心の闇を振り払おうと、懸命に心を奮い立たせて日々闘っている。みんな熱いロックンロールが大好きで、ビーツも大好きでいてくれて、ライブで拳を突き上げるのが大好きな連中だ。彼らは何度も言う。「俺ら絶対大丈夫っすから!絶対負けないっすから!また必ずみんなでライブ行って拳を突き上げますから!俺ら絶対負けねぇ!大丈夫だから!って全国のビートニクスに伝えといてください!」
彼らの中で最初にメールをくれたリーダー格の男が、本当にびっくりするような話を教えてくれた。俺を驚かそうと秘密にして温めてたそうなのだが、なんと彼と俺は初対面ではなく、過去に会ったことがあったと言うのだ。しかも岩手大槌町から遠く離れた広島の尾道の道端で偶然ばったりと!彼は仕事の関係で3年前に一時期だけ広島の三原という港町で暮らしていたことがあるそうで、たまの休みに初めて隣の尾道にでも行ってみようかと出掛け、よく知らない町をぶらぶらしてたら、たまたま見かけた尾道ラーメンの店の前に俺がいたのだという。彼はびっくりして俺に声を掛け、サインと握手をしたと。OKIさん覚えてないでしょ?と。まさか!その出来事は凄くよく覚えてる。だって俺が尾道に行ったのはその日が人生でたった2回目で、それも映画関係で福山からたまたま皆で尾道ラーメンを食べに行ったほんの30分程の滞在の間の出来事だったんだ。しかも彼はその時ビーツのTシャツを着ていた。こんなところにビーツファンが!って俺の方が驚いたくらいだった。ほんの一瞬の出来事だったし、インパクトが強すぎて、顔まではさすがに覚えてなかったんだけど、まさかあの時のあいつがおまえなのか!って。早く言えよ!って(笑)。しかしなんという縁だろう。偶然に偶然が重なっての不思議な縁。そして俺は彼の故郷大槌町へ導かれるようにやって来た。ちなみに彼はその年の7.26広島楽座での吟遊詩人弾き語りライブも観たのだそうだ。現在まで俺が最後にやった弾き語りライブがその日だ。そして今年、それ以来の3年ぶりに弾き語りをやるのは震災義援の思いを地元広島と東北の地で生の歌に込めて届けたかったからだ。そこにも縁を感じる。彼は今、津波で家も職場も失い、先の見えない厳しい状況にあるが、なにせ一度も弱音を吐かない。魂が震えるほどに強く明るく逞しく、常に笑顔を忘れず、真っ直ぐに仲間を思いやる優しい男だ。
最後の晩に、仲間達の中で唯一くらいに家屋が残った男の家で、みんなで思い切り酒を飲んだ。熱いリーダー格に、クールでシブイ番長。そしてこの男はさしずめ影の司令塔的な存在感だ。この家は、ずっと見つからなかったお義母さんが4月中旬にやっと見つかり弔ったばかりだった。真新しい仏壇の前で、みんなで大いに語らい、大いに笑い、大いに泣き、そしてみんなで歌った。嫁さん連中や子供達も含めて総勢30人近くは居ただろうか。12弦ギターでみんなで大合唱した。「MY
HOME TOWN」に始まり、「I WANNA CHANGE」や「INNOCENT
DAYS」・・・いろんな歌を歌い、そして最後にみんなからリクエストされたのは「悲しみの波を越えて」だった。みんなで歌った。驚くぐらいの大合唱。流れる涙を拭おうともしない。思いっきり泣いて泣いて、だがしかしそれは悲しみに浸るための涙ではなく、懸命に悔しさや悲しみを越えていこうとしてる者達の力強い咆哮。魂の叫びだった。俺はこの町で見て聞いて感じた全ての事を、そしてこの夜のことを一生忘れない。リアルに悲しみの波を越えて力強く生き抜いていこうとしているあいつらと過ごした、魂の夜を。
そして、東北で過ごした全ての時間やこの町で受け止めた全ての思いを抱えて、再び西へ遠征した。福岡・広島ライブ。観た人には伝わっただろう。遠い東北の地で同じようにロックンロールを愛し、凄まじい逆境にも負けず前を向いて生きている多くのビート二クス達がいること。思いは繋がる。どの街にも人の縁があって、ビーツのライブにみんなが集まってくれること、心から感謝してます。福岡には、地元博多、北九州、筑豊、山根の故郷である大分の日田、遠くは宮崎からも熱い男達が集結してくれた。ツアー中でタイミングの合ったエンリケも、牟田復帰後のライブを生で観たいと言って久しぶりに遊びに来てくれた。広島では、7月の弾き語りに参加してくれるRgbのREDやI.M.Gの敦史をはじめとする仲間達や、古くからの親友平尾が面倒を見ている若者達キャンジェネチーム、SEIZIの昔からの連れの面々など地元の熱い連中が集まってくれた。どの街にも大切な仲間がいる。幾重にも背負った思いを歌に音に乗っけて、ビーツのライブはそこに集った者達の心を分かち合う。そして、思いを分かち合ったみんながまた明日から自分の場所・立ち位置でめいっぱい闘ってゆく。
さぁ!次の遠征は浜松と京都だ。先日の名古屋・大阪とはまたそれぞれに違ったセットリストで、そして更に東北や日本各地で受け止めた熱い思いを届けに、めいっぱい分かち合いに行きます。それともうすぐ、仙台・広島の弾き語りに続いてあと2本弾き語りのスケジュールが発表になる。更には夏のビーツマニアや、遂にビーツ本隊での東北ライブについても正式発表できる日も近い。SEIZI、山根、牟田、マネージャー杉山、そしてローディーのミツル、それぞれ胸に期する熱い思いを持って、ビーツチーム一丸となってロックンロールしてゆきます。何処かの街で会いましょう! 「We
hear CALL S.O.S from East Japan」「To save
them,let’s send the mind」「POWER TO YOU!
POWER TO JAPAN!」
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